かいたことおきば

メロンと一緒

ちっちゃい頃のつらい秘密の話

こんにちは。

 

突然ですが皆さんには「秘密」がありますか?

 

大人になるにつれ、秘密があるのは当たり前のことになったかもしれませんね。秘密を持っていることに慣れているかも。

 

でも小さい頃はどうでしたか?

 

隠し事があるというだけで辛い思いをしていた人もいるんじゃないでしょうか。

 

幼き日の私もまたその一人でした。

 

あれは忘れもしない7歳の夏のことです。

 

メインイベントであるサイコーに楽しい父方でのお盆ー夏の本番ーが終わると、初めて母方のおばあちゃんちに一人で行きました。

 

その年の夏は、面白いけど結構イジワルな年上のいとこが来ていなくて、本当に一人でした。

 

めろん、一人でよくきたね」

 

おばあちゃんはいつも優しくてニコニコして

いました。

 

おばあちゃん、といっても、世間で言うおばあちゃんって感じはしない人でした。

色白でマリリンモンローのような体型で、必ずおしゃれな格好にハイヒールをはいて、宝石のついた指輪をいくつもはめ、タクシーで行動していました。

 

おばあちゃんは一人暮らしでした。

その一軒家にはいくつも余った部屋があり、

「昔は下宿の娘さんを何人か預かっていた」らしく、私はいつもその遠い昔のことをぼんやり想像していました。

 

居間にはこけしや日本人形が盛り沢山にこっちをみていて、寝室は逆にいろんな洋風の人形がぎっしり吊るされていました。おばあちゃん曰く「みんなかわいくてしまえない」。

手芸の先生でもあったので、手作りのも混じっていました。たしかにそれはかわいかった。

 

昔色々あったこともあり、

おばあちゃんはお酒が大好き。

毎晩飲み屋に通っていました。幼児の頃から、よく内緒でスナックに連れて行かれてました。

連れてくなよ。

 

おばあちゃんにはパトロンと呼ばれる謎の男性が何人かいて、夜な夜な彼らに電話をしていました。

 

当時はよくわかりませんでしたし、おばあちゃんも別に水商売をやってたわけじゃないし、…今でもよくわかりません。私が高3の時その中の一人と再婚しようとしたのですが、お相手が泥酔して浴槽の事故で…。

あれがなければおばあちゃんは再婚して、私には新しい「おばあちゃんち」ができていたんだな。

 

さて、おばあちゃんはいつもめちゃくちゃ甘やかしてくれて、手に取るものは何でも買ってくれました。

 

子供は遠慮するものじゃない!としぶい顔をしながら、とにかくちょっと見ただけのものも全て買ってくれるのです。これはいらないよ!とずいぶん断りもしました。

 

おばあちゃんはもともとお嬢様でした。満州事変で一家で満州に渡り、満州と品川に2つ屋敷を持っていたらしいのですが、負けて引き揚げの時財産を没収されたし、品川の家も空襲で焼けたそうです。

これめちゃくちゃもったいないですよね。戦争って最悪だな。

 

私は、いつもお金をくれまくる&なんでも買ってくれる&宝石や毛皮やお洋服もいっぱい持ってるんだから、依然としておばあちゃんはすごいお金持ちなんだと思っていました。

 

しかしおばあちゃんに何か買ってもらうとうちの両親はやたらと激怒するのです。

そりゃあもうメタメタのギタギタしぼられるのです。父に。

例えば3歳の時「箸の持ち方ァァァァァァ!!!」と父から“マジ怒鳴り”をされ、超怖くて大泣きしたことを今も覚えています。そんな怒鳴り方をするのは空知英秋銀魂ファンの女子かうちの父しかいないわけです。

3-4歳児に、前に教えた箸の持ち方が覚えられていないと大声で怒鳴りつけるってどう考えてもヤバイ人ですが、まぁ過ぎたことなので。

あともう持てるし箸とか(笑)

 

さて、とにかくその夏の私は気が大きくなり、おばあちゃんが前々から言っていた話に乗りたくなったのです。

 

それは…

 

「買ったものは、おばあちゃんちに隠しておけばいい」

 

という簡単な話でした。

 

「それでおばあちゃんはね、置いていったものを見て、ああ、おまえが来て楽しかったなぁって思い出せるし、おまえはまた、うちにきた時遊べばいいでしょ」

 

私はそれをいつも生真面目に断っていました。両親に嘘をつくのがすごく悪いことのようで、怖かったのです。

 

でもその年、いとこもいなくて、完全に理性のリミッターが外れていました。あの、面白ければ平気で人を裏切るであろういとこ(信用ない)が、遊び半分でうちの親にバラすかもという不安がなかったのです。

 

普段買ってもらえない「なかよし」のホラー特別増刊号や、普段買ってもらえない「お化粧セット」的なやつ、レターセット、色ペン、ジャムの瓶(なんで?)、シール剥がしペン(なんで??)

などなど、たまたま手に取ったものからほしかったものまで全部買ってもらいました。

 

その中で、おいていった(隠した)のはヤバそうなお化粧のオモチャと、なかよし、びん、レターセットでした。

 

家に帰った私は、ペンなどいくつか持ち帰ったものを見せました。このくらいなら大丈夫と思ったのです。しかし、それだけでも、予想を遥かに超えてとんでもなく怒られました。私が東京03だったらしばらくテレビに出れなくなっていたでしょうね。

 

先述もしましたが、うちの両親はそれぞれ教育が下手すぎるのです。

 

とにかく子供をめちゃくちゃ怒鳴りつける父。「片方が怒鳴ってる時は片方が味方にならないと子供の逃げ場がなくなるから!」という、本で読んだらしい台詞をそのまま口に出して一応味方してくれるなんかシュールな母。

 

普通に考えて、父に怒鳴られることで圧倒的な恐怖を感じているにもかかわらず、「買ってもらう」行為をやめない私の様子を見て、子供へのアプローチを変えるべきですよね。

まあこれが彼らにとっての

“夏休みの宿題”

だった訳ですね(笑)

 

…ですから、何時間も泣いてる子供を怒鳴り続けるなどという前時代的な虐待行為は卒業し、はっきり「おばあちゃんには浪費癖があって、ローンで払ってる家電もあるから、一円でもお金使わせたらダメだよ」というような『理由』をせめて伝えるべきだったと思います。

というより、ちょっとオモチャを買ってあげるような出費も避けさせたいような状況なら、そもそも子供を預けるなよ、というところですね。おばあちゃんだって孫が来たら買ってあげたくもなりますよ。彼らには想像力が足りなすぎます。

 

だっておばあちゃんちに一人でいっておばあちゃんとショッピングモールに出かけて、それ欲しいの?買ってあげるよ、と言われて、

「ほしいし、買ってもらえるとのことですが、お断りします。約束したので」

と断れるカントみたいな小2がいたらお目にかかりたいものです。カントも小2なら無理だと思う。

それならなんでモールに来たんだって感じですし。

 

…まあほんというと、あれだけ怒られたんだから言ってほしかったですけどね。今思い出しても己の学習能力のなさに驚き…

 

否、これは、起こりうる「苦痛」によって「快楽」を制するのは難しい、ということなのでしょう。

この緊急事態宣言下で遊びに行く人が後をたたないのはこの理由かもしれません。

 

さて、そんな感じでおいてきたオモチャ達ですが、これが思いの外、何年も私を苦しめることになるのです。

 

秘密というのは、物と変わりません。

「ある」からです。

 

おばあちゃんが酔っ払ってあのことを、

話してしまうかもしれない。

おばあちゃんちにいったとき、お母さんが

偶然見つけてしまうかもしれない。

そうなったらまた、あの、烈火の如く

2時間は怒鳴られ続ける地獄の時間が待っているのだ…………。

 

当時の私には父に怒られまくるということが、本当に耐えがたい苦痛だったのです。こわいし。

 

毎晩、「オモチャ達がこの家にガタンゴトンと向かってきている」という妄想に悩まされました。

それが当時「最悪の想定」でした。

そして、 

(そうだとしても、オモチャの重さ、転がりながら移動する速度、距離を考えれば、朝日が昇るまでにここに来るのは無理だ。←勝手なルール

そしたら無理とわかった瞬間から家に戻ってるはずだから、←?大丈夫だ)

 

と考え、毎晩その考えに至ることでようやく眠れました。

 

ある晩、そうとは知らないお母さんに「めろんちゃんは幸せだね」と言われました。今でも忘れられません。

「えっ…なんで!?」

「なんでって、〇〇さん(だれか大人)も言ってたよ。めろんは〇〇だし〇〇だし、お母さんもそうだなぁ幸せだなぁよかったって思ったの」

「そ、そんなこと、ないですよ…」

 

この時ほど罪悪感というのが、手に取るように、目に見えるようにわかったことはありません。 

 

二人にバレたら怒られるような秘密がある、この事実は小2の私には重すぎたのです。

 

皆さんだったら打ち明けて楽になるでしょうか?

 

私は、打ち明けることはありませんでした。

とうとうこんにちまで隠し通しているのです。

まあ、もうあの家は取り壊されて、無いのですが…。(おばあちゃんは存命)

 

あれ以来私はおばあちゃんちが嫌いになってしまいました。

正直人形たちもこわいっちゃこわいのです。居すぎだし。

あと、あの使ってない部屋に隠した「なかよし」増刊号…、そう、少女の心にトラウマを植え付けたと話題のアレです。

 

アレのこわい話が全部こわすぎたんです。

なんなら今でも怖いです。

 

少女漫画の絵なのにどんだけ容赦ないんだよっていうギャップが嫌ですね。

 

アレと私の秘密が相まって、「おばあちゃんの家」は非常に嫌なものとなりました。

 

おばあちゃんの家に行くときはお母さんがそれらに気がつかないか気が気でなかった。

 

そういえば怒鳴り散らすと子供は自分を守るために嘘をつくような子になるって最近どっかで読んだぞ!

おいおい!

当たってんじゃん(笑)

 

とにかく、20歳頃になったら多分怒られないから打ちあけよう…

と、心に決めていました。かなりの長期計画です。

 

だからそれまで引きずりながら暮らしていましたが、小5のある日おばあちゃんに、意を決して

「おばあちゃん、あの時のあれ捨てておいてほしい」

と頼みました。

 

おばあちゃんは「あれを見れば、あの頃、おまえと遊んだ楽しかったことが思い出せる」と言ってくれていたのに。

 

おばあちゃんは「わかった」と言いました。

 

おばあちゃんは捨てないかもしれない。

 

けどその言葉でふっと気が楽になり、また、さすがに(オモチャがゴト…ゴト…とこっちに向かっているかも…)というのはまったく信じ難くなっていたので、5年生頃からとにかく毎日が最高に楽しかったのを覚えています。

 

それから10数年たち、大学で「和犬は好きだけど洋犬は嫌い」という親友に出会いました。犬好きって大体の犬好きなのに、こんな厳しい犬好き見たことないよ。

 

その親友と旅行していた夜のこと。

 

「小2のとき、一回だけなかよしの夏休み増刊号を買ってもらってね。そんときのめっちゃ怖い話のラストが思い出せなくてね…」

 

という話を私がしたのです。

すると、

 

「それ、知ってる!!!!!!!!〇〇人間の話でしょ!?あたしもその年だけたまたまなかよしの怖い話増刊号買ってもらったの!あのねあの話はあいつが実はいいやつでラストで主人公逃げられるんだよ!!!!!」

 

えーーー!!!!!

 

「なんで知ってんのーーー?!?!?!?!?!ありがとう!!!!!!やっとすっきりした!すごすぎない!?!?!?」

 

マジでこの子との間に起こる思い出の共有は、奇跡的すぎて時空を超えていました。

 

遠く離れた地でお互いあの夏だけあの号を買ってもらっていたとは……というかお互いいまだにその話が強烈に焼き付いていて昨日のことのようにあらすじ教えてもらえるなんて…もう二人とも22歳だぞ…。

 

だから人生は面白いですね。

 

ということで、子供を持っても、間違っても怒鳴り続けたりしないような教育を心がけましょう!嘘をつく子になりますよ(笑)

 

ではまた!

大好きなお兄ちゃんがいなくなった話

こんにちは、めろんジュースです。

 

見ての通り、私は小1の頃から新興住宅地に住んでいました。新興住宅地育ちの優しさ、温かさ、思いやり、スマートさ、せつなさ、努力、友情、勝利ものが好きだから昔の料理漫画とか柔道漫画とか好きなんだけど昔の料理漫画とか柔道漫画読んでる人なんて誰もいないんですけど……なんかがどうしても溢れ出てしまうんですね…気をつけてても(笑)

いくつもの新しい家々がイチョウ並木とともに規則的に立ち並んだ、大変美しい町でした。

 

当時、町は越してきたばかりの若い家族で溢れかえっており、私の家の向かいにも年の近い3兄弟が住んでいました。

 

名前は

たくみくん、ひろむくん、ちなりちゃん。

 

みんなお揃いのエクボがあり、目が細く、笑うとくしゃっとなる優しい顔立ちでした。

 

私はたくみくんのことが大好きでした。

 

たくみくんはいつもとても優しかったです。

一度もいじめられたり泣かされたり、嫌なことを言われたりしませんでした。

正体は地縛霊ではないか?と思われても仕方がないほど昔のことをよく覚えている私に嫌な記憶がないんです。たくみくんは4年生にしてよっぼど優しい子だったのでしょう。

 

そんなたくみくんと毎日遊んでいたので、

問答無用で大好きでした。

 

私はまだ2年生、たくみくんは4年生。

 

学校ではほとんど会わないし廊下ですれ違ったら恥ずかしそうにしてるけど、家に帰ってくれば「めろんちゃん!」と駆け寄ってきてくれる。

 

みんなで鬼ごっこやら色鬼やらたかおにやら、ボールやら地面にチョークでお絵かきやら…

思いつくことは全部やりました。なぜか、こもってゲームはせずに基本的に外、お互いの家の前の道路で遊んでいましたね。

 

暗くなって「ごはんだよー!」と怒られても、粘りました。

よく見えないけどギリギリ手の届かないあたりをコウモリが飛びかう、1日の終わり。

毎日会えるのに、お互いの顔が完全に見えなくなるまでみんなでいつまでも別れを惜しんでた。

いつまでも。

 

私はピアノを習っていたのですが、ピアノ教室から帰ってくるとみんなつまらなそうに分散していて、「おーい…!」と手を挙げるとパッと顔を上げて全員で「めろんちゃんが帰ってきた!おかえりー!!!」と大歓迎してくれました。英雄の凱旋パレードといってもいいくらい大げさに歓迎してもらえたのです。

 

悪ぃなセンセー。どうやらオレは鍵盤よりも大事なもんを見つけちまったみてーだ。待ってんだよ、“仲間(コイツら)”がよぉ……‼️

 

という気持ちになり、私はお母さんの反対を押し切ってピアノをやめました。今でも後悔しています。

 

さて、夏休みに入ると、毎朝たくみくんとひろむくんとラジオ体操に一緒に行きました。

 

その帰り、うちのごく小さな庭の裏にたくみくんと2人で探検に来ました。なんとなく、夏の早朝の汚れてない空気や夏休みの1日が始まろうとするワクワク感を、もう少し楽しみたかったのかもしれません。

 

私たちは庭に背の高い謎の花が咲いているのを見つけました。

茎がやたらと太くて、背筋を伸ばしたようにピンと立つまっすぐな花でした。

 

「なんだろ、この花?」

「なんだろうね?」

 

たくみくんは、ぱっとこちらを振り向きました。

 

「ねえ、これを毎朝2人で観察するっていうのはどう!?」

 

「わあ、いいね!やろうやろう!」

 

 これから毎朝一緒にこの、おそらく成長しないし種もつけないであろう謎の花を見る…。

そんな特に意味のない約束ができただけでも嬉しかったです。

 

みんなのお母さん同士も仲良くて、外でバーベキューなんかもしました。

 

花火もよくしました。

 

キラキラした花火をふりまわすたくみくん。

「危ないよー!w」と叫ぶと、

「あっ、ごめんね」とすぐやめてくれるたくみくん。

 

いつまでも、いつまでも、こんな日々が続いていくんだと思っていました。

 

 

たくみくん、5年生になっても6年生になっても中学生になっても遊んでくれるかな?

 

たくみくんならきっと遊んでくれる。

 

たくみくんなら…。

 

 

しかしこの話は本当に突然終わるのです。

 

 

ぜひ予想してみてください。

 

 

 

……できました?

 

 

 

では行きます。

 

 

 

秋のある朝のことでした。

 

 

起きたら、たくみくんたち一家がいなくなっていました。

 

 

「ねえお母さん、たくみくんたちどこにいったの?」

 

「あ、そうそう、昨日の夜一家で夜逃げしたんだって」

 

 

ええーーーーーーーーーーーー!?!?

 

 

えぇーーーーーー!!!!!!!!!!!

 

よ、よに、よにえぇーーーーーーーーーー!?!?!?!?!?!?

 

 

今でもまだこんなに驚いています。

 

 

当時は知る由もなかったのですが、

どうもご両親に借金があったようなのです。よくわかりませんが。

 

それで、いつも停まってた大きな青いファミリーカーに、積めるだけの荷物を積んで夜のうちに逃げたらしい。

 

新築だった家と、立派な二階建てのアパートみたいな物置を借金のカタに入れて、彼らはいなくなりました。

 

たくみくんはそのまま転校してしまったのです。

 

挨拶もできずに。

 

みんなめろんちゃんに最後会えなくて寂しがってた、とだけは聞きました。

 

私が3年生になったころ、話が落ち着いたらしく、たくみくんたちのお母さんとちなりちゃんが遊びにきてくれました。

 

でもたくみくんは用事があるとかだったかな、理由は忘れましたが来てくれませんでした。

 

ガッカリしたのを覚えています。

 

それは今日会えなかったからではなくて、

ああ、もう二度と会えないんだ、とわかったからです。

 

今になって思う。これってまさに、

あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。ってやつだよ…。

 

「ねぇお母さん、たくみくん元気してるかな…?」

 

「タクミくんって誰?同級生?」

 

「違う違う、家の前にいて夜逃げしちゃったたくみくん」

 

「あ〜〜!なつかしい。お母さんね、あの子は絶対アレになってると思うな」

 

「え?なんか将来の夢とかあったっけ?」

 

「チャラ男」

 

「えぇーーーーっ!!!(この人がそう言うならそうなのかもしれない!)」

 

 

f:id:melomelo_me:20200422165034j:image

 

おしまい。

家庭教師してたときのこわい話その2

ーあらすじー

家庭教師先で、初日から魚座であることなどが気に入られためろんジュースは即座に母の信頼を獲得。英国出身、かっこいい猫のジョージと出会うが…?

 

相変わらず玄関には脚立が、化石のように横に倒れたまま。

トイレの中にはコンビニ本赤ずきんの絵本が落ちている。

お母さんは常に雪山山荘事件の女将さん。

薄暗い部屋の奥から姿を見たことはない妹が狂ったように弾きまくる、ものすごいショパンの旋律……。

 

さて、そんな感じで雑談をしていたら、ゆかりちゃんは恋バナを始めました。

 

「実は、スギノって子と両想いなの」

 

「えっ、そうなんだ!」

 

「でも今、ちょっと喧嘩してるんだ」

 

「喧嘩を?」

 

「喋ったことはないんだけどね」

 

なんて!?!?!?

 

とにかくもう「面白すぎる」と感じた私は、めちゃくちゃにウケるばかり。

物事の本質を見失い、とにかくゆかりちゃんの話に笑っていました。

 

彼女によれば、スギノはバスケ部のキャプテン。身長が高く顔もかっこいい、成績優秀。県内で一番の進学校へ行けるだろうと言われている。華やか。

 

ゆかりちゃんはよくスギノ含む数人の男子に「キモ山」みたいな感じでからかわれているらしいのですが、(ひどい)

普段はスギノはすれ違うとき、「ごめん」と謝ってくれるらしいのです。

 

でもそれをやってくれなかったために、ゆかり激怒。

 

フン!ってすれ違うときそっぽを向いて見せたら、向こうも真似して(?)同じことをしてきたとか。

 

「思春期の男子がそっぽを?」

 

えーっ…そんなことあるんだ。何かよくわかんないけどおもしろいな。

 

その翌週。

「スギノに、謝ろうと思って手紙入れたんです」

 

「おぉー、いいね」

 

「そしたら、スギノから、『あの手紙、何?』って言われちゃった」

 

「え、なんで?」

  

彼女はクスクス笑い出しました。

 

「手紙英語で書いたんだけど、そのっwwwスペルが違ってたからだと思うwwwwww」

 

「いや英語で書いたからだよ!」と私はかなりウケながら実際にツッコみました。仲良くなっていたので。まあ今思えば喧嘩しているって事実もなかったでしょうから、それも含めて、あの手紙はなに?という困惑だったんでしょうけども。

 

でもまあ彼女は「そうなのかなぁ?w」って感じでした。

 

翌週、彼女は行動に出ていました。

 

「実は私、とうとう、スギノに告白しようと自宅に電話かけたんです」(ゆかりちゃんは携帯もパソコンも持ってなかった)

 

「えーーーっ!すごいじゃーん!で、どうだったの!?」

 

「もしもし、って本人が出たから、私、思い切って、『あのさあたしスギノのことずっと前からっ』て言ったら、そこで電話切られちゃって…」

 

「あららら…💦」(そっかそっか、そんな甘酸っぱいことってあるよね、青春だもんね)

 

「たぶん、子機で出て、子機の充電がちょうど切れたんだと思う」

 

「えぇーーーーっ!!!」ガビーン

「ま、前向きーーーーー!!!!!!」

もうジャガーさんの世界だよ。

 

「そ、そうかなぁ!?そんなちょうどよく、切れる…かなぁ??」

 

さすがの私もちょっと心配になってきました。

でも傷つけるからたぶん本人に切られたとははっきり言えないのです。そしてゆかりちゃんは笑ってるけどネタじゃなくて本気で言ってるんです。

 

この時点でスギノと両思いっていうのは、妄想なんだなというのはわかりました。そして今までのも全部本気なんだと。

その他にも、例えば「好きなテレビはアメトーークかな」と言うと「アメトーーク?知らない」と言うので「えーっ!?ほんと?」って驚いたら「世代が違うのかなぁ?」と言われたり 「えっ???」て不思議に思うことは多々ありました。今やってるし、今こそ人気だけど…?みたいな。

そういえば最初の方に「先生はそこの〇〇大なんですね!実はこの子もそこの医学部に行きたいんですよ」って言われたから、すごいできるのかなと思ったら普通だったりもしたな。本人もその気だったし。それも、ん???という感じではありました。

あと、帰ろうと挨拶してたら会ったことない妹が

「さっさと帰れよオラァー!!!」

と、すごい遠くのどこかから突然の罵声を飛ばしてきたこともありました。

フーリガン

マナーの悪い敵チームのサポーターか?

会ったこともないし、そんなに延長もしてないのに、ビックリしてしまいましたが。普通そんなとき親は激怒するはずなんですけど、お母さんは「全くあの子は。ごめんなさいねぇ」で終わりました。いや、普通もっと怒るよね…? え…いやいや…

 

そういった数々の違和感は笑いでうやむやになりましたーーそう、私は「面白ければ好き」という価値観だったので笑えるかどうかが全て、という理由で色んな人と仲良くしていたのです。

 

そのあとは特になにもなく、彼女は無事に志望校に受かりました。

 

数ヶ月後、お母さんから突然電話がありました。

「先生、助けてください」

 

「ど、どうしたんですか!?お久しぶりです」

 

「実はあの子、高校に馴染めなくて。先生のことずっと恋しがってるんです。それで階段から転げ落ちたりしたんです」

 

なんてーーーーーー!?!!?!?!?!?!?!?

 

「なにができるかはわかりませんが行ってみます!」すぐに私は向かいました。

 

「先生!久しぶり」

 

久々に見るゆかりちゃんは相変わらず小柄でおとなしそう。髪はロングからボブになっていました。別に今階段から落ちたわけではないようで、幸い怪我もしてませんでした。よくわからないけどとりあえずほっとしました。

 

でも性格が微妙に、いやかなりかな、攻撃的になっていました。

 

「実はね。私、学校で男子にモテすぎちゃって、そのせいで女子に嫌われてるの」

 

「えっ!…具体的にはどんな感じでモテたのかな?」

 

「〇〇山さんって香ばしいよね、って言われたんだ。意味はわかんないけど多分かわいい人に使う言葉だよね?」

 

 「いや、それは…」

 

そうか、ゆかりちゃんネット環境ないからスラングの意味を知らないんだよな…。どんな時に使われるかはなんとなくわかるけど香ばしいって意味を私も正確には説明できない…

ただかわいいって意味ではないのは確かだ…。

 

「あと、うるせーよ!みたいな感じで教室でキレてしまったことがあって。それもあって女子に嫌われたの。っていうか怖がられた?私って今、デブのまゆぼんと一緒にいるんだけど本当はまゆぼんなんかと一緒にいたくないの。自分は本当はギャルとかそっち系なのに」

 

どうやら、クラス内のカーストで最下位に置かれてしまい、そのことが彼女の自尊心を暴走させ、罪のないまゆぼんを貶めているようでした。

 

「そんな…まゆぼんは中学の時からの友達でしょ?話聞いてたらいい子そうだけどなぁ」

 

「いい子だけどウザい」

 

「えー!」

 

私はその時彼女のピリついた不安定さを感じとりながらもなんとかやんわりと「うーんと、でも、あんまりどうなのかな、香ばしいってそんなにね、ポジティブな意味ではない可能性あるし、もてまくってるっていうか、急に怒ったりするのがみんな驚いちゃったんじゃないかな」等、伝えました。

 

彼女は不服そうにしていました。

 

クスクス笑う癖も消えてしまっていました。

 

「あと私共感覚をテレビで見てからそれを身につけたの。図形に色がついて見える」

「それって、生まれつきじゃないの?」

ちょっとウケましたが、彼女は笑っていませんでした。

 

ふと窓際を見ると三体のいびつな粘土の人形がおいてありました。

「あ、これは天使。作ったの」

「へぇー、かわいいね」

「ありがとう」よく見ると人形の足元には、米粒がいくつか置いてありました。

 

「これをそなえておねがいごとをすると叶えてくれるの。でも叶えすぎるからもうやめて!ってキレたんだ」

 

「えっ、へぇー、そうなんだぁ」

 

本気だ。本気で言ってる。たぶん。…

 

ゆかりちゃんとの楽しかった思い出。

笑い合った日々。

スギノとの恋バナ…。

 

 

そのあと、ゆかりちゃんが階段からまたわざと落ちたので母が病院に連れていくと、そのまま統合失調症と診断されて入院したと知らされました。

 

 

なにが怖いって、家全体の雰囲気はそりゃ怖かったですが、なにより自分の鈍さです。正直責任みたいなものさえ感じました。あのとき、能天気に楽しさを見出しすぎず、(妄想癖があるぞ?)とお母さんに申告したりしたほうがよかったのかもしれない…。いや、遅かれ早かれ入院になったわけだから、、いやでも…。

 

数年後、大学の文化祭に遊びにいった帰り、10月なのにハーフパンツとビーチサンダルで、1人でぶつぶつ喋ったり笑ったりしている女の子と、たまたまボックス席で向かい合って座りました。

 

あっ!

この子ゆかりちゃんだ!

 

多少変わっていたけどすぐわかりました。1人で喋るゆかりちゃんは心ここにあらず、目の前の私には気づきませんでした。私は隣にいた友達になんとか目で訴えかけましたが、話が複雑すぎて目では無理でした。

 

そんなことがあって以来、私は少し慎重な人間になりました。

 

でも笑い合った日々の思い出はきっと心の奥に残っているよね。と思ったりもします。

 

ゆかりちゃんがどこかで幸せになっているといいなと願うばかりです。

 

 

家庭教師してたときのこわい話

みなさんこんにちは。来週から冬の寒さになるらしいですね。

わかります。寒いなーと思ってました。そんな中でもこわい話で逆にあったまれればと思います。

 

大学時代はよく家庭教師に行ってました。

 

なんでカテキョにしたのかといえば、中2の時私もギャルのお姉さんに来てもらっていて、ギャルなのに理系で、明るくて、すっごく憧れてたんですね。

 

とは言えカテキョは結構厄介でした。すごく静かな性格で、あんまり返事がないってことが割とあるんですよね。

 

だから、私に問題があるなら交代した方がいいですか?って会社を通して聞くと「それはイヤだ」って言われるのです。だからほんとに大人しいんだなという感じでした。

 

最初は元気よくイナズマイレブンについて語ってくれた女の子も、途中からお母さんと大喧嘩して反抗期に突入し、私の前でもほぼ喋らなくなりました。どうした?なにかあったの、大丈夫!?って思いっきり心配されたかったんだなぁといまはわかります。でも当時は分からず困惑。気まずい。この部屋で笑ってるのは常に立向居勇気だけなのです。

終わるとお母さんからの悲しみや最近のネタバレを聞く時間でした。今日のあの子はどうでしたか?はい、ずっと黙ってました…実は昨日は22時頃から突然「返却がある」ってTSUTAYAに連れて行かされて…えっ!…遅くに大変だったんですね…

 

しかし、そんなことが問題でないくらいのことがこの身に振りかかろうとは、当時はまだ知る由もありませんでした。

 

大学3年のときでした。

 

秋頃から、中3の女の子につくことになりました。

 

原チャで行きたい面倒な距離ではあるけど、今までの家に比べるとかなり大学の近くで坂道もない。行きやすくて嬉しかった。

 

地図を頼りにたどり着くと、小さな日本家屋っぽい感じのお家でした。

 

照明はなぜか、暗い。

 

「こんにちはー…」

 

声をかけましたが、返事はありません。

 

玄関は裸電球1つで、オレンジ色の光。

そして脚立が無造作に倒れていました。

なんで脚立が出しっぱなしなんだ…?

 

「あぁ、お待ちしてました」

 

「!」

 

私は一瞬混乱しました。なぜなら登場したお母さんが、厚手のハンテンを着て、スキー場でしか見たことのないニット帽を目深にかぶっていたからです。

ここは雪山の山荘か?

 

「あっ、めろんです。はじめまして。よろしくお願いいたします」

 

「ええ、ええ、まずはこちらへどうぞ」

 

お母さんは、正面のフスマをあけました。

そこはなんの変哲もない和室でした。

 

「まず、失礼ですが」

 

お母さんは厳しい顔でそう切り出しました。

 

なにを聞かれるんだろう?私は身構えました。

 

「先生は、なに座のなに型ですか!?」

 

何て!?

 

「あっ、魚座のO型です…」

 

パァッ。お母さんの顔が明るくなりました。

 

「この子もなんですよ!」

 

「あっ、いや〜ハハハハハハ…!そうなんですかー!わー!奇遇だなぁ」

 

この子って言ってもまだ本人いないけどね!?

星座と血液型て、もしかして占いとか強烈に信じる人なのかな???

 

星座と血液型を気に入られたことによりなぜかすっかり信頼を得た私は、その後は朗らかに色々と話して、本人に会いました。

 

「はじめまして」

小柄で、おとなしそうな女の子でした。

めろんです!よろしくね!」

彼女は「ゆかりです。よろしくお願いします」と言ったあと、クスクス笑い続けました。クスクス笑い続ける癖がある子でした。

 

家の中は相変わらず、ぼんやり暗い。

 

廊下に出ると、無造作に本が落ちていました。よく見るとコンビニの怖い話でした。

怖い…。

 

お母さんに見送られて、私は2階へ上がりました。

 

2部屋ありましたが、1つの部屋のフスマが空いていて、視界に飛び込んできたのは、失礼ながら

いわゆる「汚部屋」でした。

 

それもかなりの。

紙類や衣類で足の踏み場もないくらい衝撃的に埋め尽くされたその部屋で、姿見だけが、壊れた漂流船のように浮かんでみえました。

 

「!!!」

 

「あっ、ここ妹の部屋w」

 

見られても特に気にすることなく、彼女は奥の部屋に案内してくれました。

 

そこは普通に片付いた平凡な部屋でした。私たちは少し話をして、すぐに仲良くなりました。同じ星座と血液型だからでしょうか?

なーんて(笑)。

 

彼女の志望校と成績にはそんなに乖離はなく、少し頑張ったら入れそうだなという感じでした。

飲み込みも早いし、なにより話が面白いのです。

私はその子と楽しく勉強しました。

 

階段に出ると、突然、やたらカッコいい外国産の猫がスタスタ歩いてきてギョッとしました。

目の色は明るいグリーン。毛の色は見事なブラウン。名前はジョージ。いや名前のセンスすごいある。こんなかっこいい猫いる…?そして、妹はすごい部屋。床にはコンビニの怖い話。お母さんは雪山で事件の秘密を握ってそう…。

 

さまざまな個性がぶつかり合い、私は今までになく混乱しましたが、まぁでも、親子共々気に入ってもらったようでもちろん通い続けました。

 

ところで私は元来、「なんであの子と普通に話すの?」などと言われたり、「そこがえらい」と言われたり、「なんであいつに相槌打つんだよ!調子乗るだろ!」とか、「あの子がよくないって気づくの遅すぎ。みんな最初から避けてたじゃん」などなど、よく言われていましたが、あまり人を避けない人間でした。鈍いようなのです。最近は、この話の反動で警戒していますが。

 

続きます。

 

 

こわかった話

こんにちは!春といえばこわい話。てことで今日はシンプルに怖い話をしようと思います。

 

私は怖い話と魔法と不思議な話は同じカテゴリに入れています。

怖い話があるなら、幽霊がいるなら、

魔法もあるのでは?と。

そんなロマンがありますよね。

 

小五になったとき(子供時代が終わりそうだ。今しかできないかもしれない)と考え、

真剣に箒で空を飛ぼうとしたり、魔法に関する文献を調べまくっていたことがありました。

調べた結果、当時の魔女はようするに薬剤師だったが、中には皮膚にぬると空を飛んだような感覚になれる、いわゆる麻薬のような薬があったらしいと知りました。それが一番ほんとっぽくて絶望し、飛ぼうとして普通に転んでケガしてやめました。(大バカ?)

 

なんで魔法体験はないのに幽霊体験はあるのでしょう。物理法則を無視した現象という点は同じなのに。魔法使いがやってきて空を飛ばせてくれたってことはないのに、なぜ見ず知らずの死んだ人が皿や本をビュンビュン飛ばすような話はそこら中にあるのでしょう。

だけど、話を漁っていると、中には魔法に近いようなものもあったりしますよね。

だから、そっちの話があるのなら、魔法にもたどり着けるかもしれないなー、と思って始めたのが、友人に「怖い話ない?」と聞く、ともすると(こいつとこれからも仲良くして大丈夫かな?)と思われるようなかなりスリリングなインタビューなのです。

たいていの人が「えー?wうーん。そういえば…」と何か話してくれるのが結構楽しいんですよね。

私ですか?

 

私の怖い話は、小さな頃の出来事です。みんなに怖くないと言われていますが、一応書いてみようと思います。

 

うちのお母さんはエコが大好きで、かなり昔からオーガニック製品にこだわり、魚が死なないシャンプーしか使えない!とはた迷惑なことを言っていました。いい匂いのシャンプーがいいのに…。あと生活排水ってそのまま海に流れないよね…?下水処理場ってあるんだし…しかし当時は分かんなかったですからね。

お肉や魚も国産しか買わない!とこだわってくれていました。ジュースは100%!など。それはまぁエコとは関係ないけど。オーガニック主義というかね。

 

そんなお母さん、ある日、ある新聞広告を見つけたのです。

 

今もはっきり覚えています。めっちゃ怖い顔した目の小さいキューピーみたいな小人が、こっちをにらみつけながら、一筋の涙を流しているのです。

その隣に

森がある星が他にありますか。

水がある星が他にありますか。

海がある星が他にありますか。

 

みたいなことが書いてあったのです。

 

幼い私はそいつを食い入るように見つめました。そいつも私を認識しているようにしか見えませんでした。

 

そいつは北海道に住んでいた先住民の妖精かなにからし

名前は「ニングル」。

怖い…。

名前怖…

なんだよニングルって…

人間が環境破壊をしている…お前たちのせいで…といったことが言いたいのは、幼くてもなんとなくわかりました。お母さんのエコ活動が効いてますね。

それにしてもこんな切り抜きカベに貼らなくても……。

 

「お母さん!これこわいからやだ!外して!」

私は訴えました。

イヤだと言われても引かない覚悟で叫んだのです。

しかし、意外にも

「あ、じゃあ捨てていいよー!」

とあっさり台所から言われたので画鋲から外して、(画鋲でとめてあったこと、はっきり覚えています)ぐしゃぐしゃに丸めて捨てました。

 

 

そのあと床に寝転んで絵を描いていました。そしたらお母さんが「りんご切ったよ🎶」と言ってくれたので、「やったー」と顔をあげたのです。

 

その瞬間、目の前に、

さっき捨てたはずの記事があったのです。

シワをのばされておいてあったのです。

 

私は戦慄しました。

 

だってお母さんはずっとキッチンから動いてないんですよ。

 

弟はまだ喋れない赤ちゃんですよ。

 

テチテチと一応歩いていたとはいえ、弟が一度捨てたものをゴミ箱から待ってきたことはないし、そういう癖もなかったし、万一持ってこられたとして、赤子に新聞紙のシワを伸ばせるでしょうか?そしてうちの当時のゴミ箱って、なんか、アコーディオンみたいな、こう、ふつうのゴミ箱じゃなくて、一見棚なんだけど扉を引っ張ってあけるとゴミ箱だったんだねというタイプだったんですよ。(説明下手)

みんなは「それ弟でしょ」って言ってくるけど、私もそのときそう思えたならこわい話として強烈に残ってないから、つまり弟が持ってくるのは不自然だったってことなんですよ。

 

まぁ、そんな感じです。

 

怖い!と思った人がいれば教えて下さい。

 

私の怖い話はこんくらいかな。(ほぼない)

 

その後、ずいぶん長い間ニングルが怖くて、悪夢にうなされたりしていました。つきまとわれましたね。あいつの影に。

その後色々あって北海道が本籍になるとは…

運命だったのかもしれません。

 

北海道といえば、札幌の子に怖い話ある?ときいたら、

小2のとき学校で

開拓記念村に行ったら崖があった。

気に入って次の休みに連れてってもらったら

崖なんてなかった。

 

という話を聞け、私は大満足でした。

 

開拓史については気分の良い話ではないので語るのはやめておきますが…

 

でもやっぱり、北海道って、蝦夷地なんだよな〜…

 

なんてことを思いながら生きてます。(そんな奴いる?)

 

ではまた!

何か怖い体験あれば教えて下さい!

思い出のマーニー研究 その①

みなさんこんにちは。

 

すっかり秋となっためろんジュースです。

 

秋も秋、10月末ともなれば年末と言っても過言ではありません。年末年始、みなさんどのようにお過ごしですか?お蕎麦食べてますか?おもちかな?

 

さて、みなさんご存知の通り私は思い出のマーニーが大好きです。

文字通り、寝ても覚めてもマーニー漬けの日々を送り、やることがなくなってしまいました。

 

そこで、マーニー映画を詳しく研究することにしました。

 

本研究のきっかけとなったのは、

 

"""""あのお客さんたち、パーティにどっからどうやってきていつ帰ってんのかな?""""

 

という素朴な疑問でした。

 

ということで検証を進めていこうと思います。

 

そもそもこれ、原作の舞台がイギリスなので、あくまでもあれですけどね。(どれ?)

 

みんな大好きしめっち屋敷は、釧路、十勝あたりの架空の町にあります。

 

まず、湿っ地屋敷の大きさを知るのにどうするか画策した結果、

 

f:id:melomelo_me:20191025133026p:image

 

購入を検討しているこれの存在を思い出しました。

 

これの、

 

f:id:melomelo_me:20191025133048p:image

 

ここです。

たしか縮尺があったなーという気がしたのです。

 

それぞれの数値を220倍し、

m換算し、さらに坪の計算をした結果、

 

f:id:melomelo_me:20191025133704p:image

 

350.21272

 

 

約350坪!!?!?!?

 

f:id:melomelo_me:20191025180157j:image

体育館か?

 

流石にでかすぎると思い見直してみると、

f:id:melomelo_me:20191025180035p:image

もしかすると、この水の部分が入っているのではないかと思い、推定ですが、1/2として計算し直しました。すると、だいたいですが約170坪くらいでした。そうは言っても高校の体育館半分ほどなので、お屋敷だけでも相当でかいです。卓球部が半分使ってるあのスペースが全部家ですからね。

というわけで、計算が間違っていなければ

マーニーの屋敷は周辺の庭を含め、予想よりもに巨大だったということになり、みなさんが帰らなくても収容できるスペースはあったようだと推測できました。

 

しかし、これだけ広いのに、高齢のばあやと双子の姉やの3名で掃除と管理が賄えるかというのは甚だ疑問です。さらに改修工事の詳細は明らかにされていないとはいえほぼ原型をとどめたままのサヤカの家、結構でかすぎない?

 

さて、それでは次に、彼らはどうやってあの地へきていたのでしょうか。

 

思い出のマーニー種田陽平展にて、マーニーの人生年表が公開されたのですが

 

f:id:melomelo_me:20191025180532j:image

 

ここで、マーニーの生まれは1953年という事実が明らかになっています。

 

生まれ年的に、マーニーの母の桐子、もしかしたらいわゆる戦争花嫁だったのかなと思いました。そうじゃないと、あの時代に米英と国際結婚ってのはなかなかね。ちなみにお金持ちの女子は基本的に親が勝戦国の兵士から遠ざけるようにしていたらしいです。基本的には。全てを防げたわけではないと思いますが。当時は貧しかった敗戦国での暮らしより、プライドも名前も捨ててアメリカへ嫁ぐのを選んだ婦女子は少なからずいたのですよね。

 

さて、1945年7月14.15に空襲をうけた釧路ですが、マーニーの暮らしからはお金持ちとはいえ周囲の貧困の様子も窺えませんし、パーティにあれだけの人が来る手段がある、呑気にしているということから、ある程度の復興はしていたということになります。1960年からは池田内閣による所得倍増計画もありました。マーニー生誕の1953年間から20歳の1973年まで、偶然にも、ちょうど高度経済成長期と呼ばれる19年間だったのですね。

そしてパーティーが開かれていたのは、推定ですがマーニーが6歳〜15歳(1959-1968)くらいではないかと思います。1953年生まれというのはこのへんのかねあいで時代考証され決議されたのでしょう。

 

ちなみに舞台は架空の町ですが、アンナが乗っている特急電車が「釧路」行き「スーパーおおぞら」である以上、釧路近辺という解釈で間違いありません。

f:id:melomelo_me:20191025125210j:image

 

 

アンナは心配する頼子に対し、「メーメーうるさいヤギみたい」などと突然の毒を吐きながらさりげなく乗っていますが、札幌⇆釧路間は4時間40分もかかります。

 

降り立っている駅からして、特急停車駅である

釧路駅からローカル線に乗り継いだとみて間違いないでしょう。この時点で5時間近く移動してますね。すごいです。

f:id:melomelo_me:20191025125156j:image

見た目や線路はいくつかの駅がモデルと言われていますが、廃止された旧江差線江差駅であるとの可能性が高いようです。

こういうアニメ映画に出てくる駅っていいですよね。大岩家にしばらく預かられたい。どうしても預かられたい。

 

話を戻しましょう。

客人はどうやってきていたのでしょう?

 

普通に考えて、わざわざ北海道の東北部、端っこにある釧路地方の一屋敷まで、あんな大勢の富豪が集まるっていうのがまずちょっと常識離れしてますよね。

 

彼らは何者で、どうやって釧路へ来ていたのか?というところから、まず「釧路空港」について調べました。開港は1961年。パーティー開催期間の途中から利用された可能性がなくもないのですが、国内線しかないのです。

 

あるいは釧路港(開港1889年)にクルーザーで来たのかもしれませんが、クルーズの歴史を調べたところ…思うように知りたいことが調べられませんでした。調査中です。

というのも釧路港は基本的に物の流通を担う港で、人を乗せる豪華客船(クルーザー)は現在国内およびウラジオストクなどからきているものの、マーニーの父の名前はリチャードですし、ロシア方面の人ではないと推測されます。あのお金持ちがみんなウラジオストク周辺から来てるとは考えにくいし。

あと、パーティ開催時に豪華客船あったかなぁ???という。

 

となると、彼らは都市部札幌あたりの富裕層で、陸路で遊びに来ていたのかな…。

ただし

特急で2014年に4時間40分かかってますし、

いや、わかりませんよ。わかりませんけど

わざわざそんな?という疑問は残ります。

とはいえ、釧路湿原の美しい屋敷でパーティと聞いたら、行きたい行きたい!ってなる、かも…。

当時セレブと呼ばれた人々の生活についても調べないといけないですね。これと、この海路の詳細(船の中身、利用者の富裕度など)を調べるのはまさに"""難航""""したため、調べ続けようと思います。

 

ともあれ、屋敷の大きさから、宿泊もできた(けどまあパーティ会場で夜を明かした)と考えてよさそうです。

 

しかし、マーニーが使用人の横暴を暴露し交代

を願いでなかったのは些か疑問が残るところですね。

 

あと、太っちょ豚!と罵るのは原作通りなのですが、原作では信子に当たる人物はもっと意地悪なのです。(大岩夫妻もあんないい人たちではないです)信子は何か意地悪をしたわけでもなく、アンナが勝手に追い詰められ、(注 アニメ絵本版には、無遠慮に色々話しかけてくる信子にアンナが苦手意識を抱いている、といった旨の明確な記述があります)「大人な対応をしているにもかかわらずあの体たらく、それでいてマーニーにはデレデレ、ってちょっと誰か止めなかったのか?とは思いますね。おいおーい!って。それってメンクイじゃん!って。でも個人の見解では、アンナはまだ外の社会と関われる状態ではなく、身内だからこそ心を開けた、こう言った意味があると解釈しています。ただ、まあ、ね…。こんだけのマーニー への情熱を持たずに普通に見てたらね。メンクイやないか!ってね…。

 

 

はい。

いかがでしたでしょうか。

 

人類の大半が興味のない「マーニー のお屋敷にきた人達はいつ帰った?交通手段は?お屋敷の大きさは?卒アルと顔が違う?」問題についても、深く調べたら「北海道と戦争」を考えるきっかけになりました。

北海道てめちゃくちゃ広いので、地方によって違っていたと思うとさらに調べたくなりました。北大の入試(日本史・世界史)なんかでは、北海道の歴史がよく出題されますから、受験生の皆さんは関心を持って学んでおきましょう。北海道大は関東や関西からの受験生も多いんですよね。

また、意外にも新千歳空港より釧路空港のほうが古いということも知れて、なんでだろ?性格が悪いって本当?とさらに探索は深まりそうです。

 

そんなところで。ここまで読んでくれたひとがもしいれば、あなたね、めちゃくちゃ良いことがありますよ。ありがとうございました。

 

女の人を怒らせたくない話

こんちは!めろんジュースです。

 

めろんジュースって何?

 

さて、皆さんは男子の友達と女子の友達どっちが好きですか?

 

たぶん、異性の方が気楽な面がある、

そういう人は多いのではないでしょうか。

自称サバサバ系とかそういうのではなくて、

生存競争で競い合わなくていいから、

なのでしょう。

 

あと上の階のゴリゴリのミュージックがずーっと鳴り止まないんだけど、盗聴されてると思って音楽かけてるらしい。

盗聴されてないよ。

なんだ盗聴て。

コナンの4巻でジンとウォッカが新幹線ごと吹っ飛ばそうとしてたのを阻止できた時にしか盗聴いらないだろ。

でもコナンの特別編1巻か2巻かにもあったよね。盗聴の話。

 

なんかさ、光彦がまた持ってくるわけ。トランシーバーだかなんか。

 

発行年はまだ97年とかなのかな。

携帯電話の普及もまだまだ。

 

光彦が「半径〇〇キロ以内の電話の内容なら

拾えます!」

なんて言っちゃって。

 

コナン「悪趣味だけどな…(汗)」

 

いや盗聴じゃないかよ。

 

盗聴するな。

 

で、そうしてたら、 「お前の娘は預かった」と聞こえてくるわけです。

 

何っ!

 

少年探偵団の出番。

 

コナンが、犯人の見ている景色や電話口から聞こえてくる踏切音の間隔などの情報をたよりに犯人の居場所を徐々に特定していきます。

 

娘を誘拐された父は屋上かベランダでパンツ一丁にさせられ、確か踊らされます。犯人はどうやらパパに私怨があるよう。そしてそこから見える女子高生に手を振らせます。犯人は無様な姿に大喜び。おじさんをパンツにさせてJKに手を振らせる、こんな犯人は本家じゃお目にかかれません。

で、そのあと、そのまま包丁で死ぬよう犯人から言い渡されるパパ。

くっ……と震える手で包丁を喉仏に、そのときコナンのサッカーボールが炸裂!!!!!!!!!

だったような気がします。オチは、解決後に盗聴の機械を性懲りも無く回してたら「こんなに遅くまでほっつき歩いて!ウチの元太が帰ってきたら承知しないよ!」「うちの光彦もですわ!」と親たちの会話が聞こえてくる…というもの。いや盗聴すんな!特別編のコナンは、中学生があの子が好き嫌いといったヤキモチで簡単に殺されたりするやるせなさが見所です。

 

なんの話でしたっけ?

そうだ。

女の人を怒らせたくない話でしたね。

 

夫婦喧嘩の原因がたいてい

「妻がイライラしている」というのみなさん知っていますか?

 

私はよく「失敗」「失言」

「失策」の、「3s」をします。

 

そんな時、男子は特に気に留めなかったり、おい!とつっこんで終わったり、私のせいで落ちたドブの中でも谷底でも誠意を見せればさっぱりと許してくれたりすることが多いですが、

 

女子はちょっとしたことでカチンときて、

そこから明らかに不機嫌になるのです。

 

なんで!?どこで!?えっ、あれ!?あー……などと後悔してももう遅いのです。

 

私は多分前世が気の利かない男子だったのだと思います。いや、本当のことを言えばたぶん小学校の時のプール教室で他校の女子の集団がなんとなく意地悪そうだったのもトラウマなのです。

 

だから、

怖そうな女子にはいつも「かわいいね!」みたいなお世辞を、焦りながら言ってるわけです。

なぜなら怒らせたら怖いから。

 

そして一緒にいても自分は失言しないだろうか?ゼロをマイナスにするくらいなら会わないほうがマシだ、と思ってしまうのです。

私が失策しようものなら、般若の顔で殺してくるでしょう。

仲良くしたいけど怖い。けど仲良くしたい。

女子は私にとって多くがそういう存在です。

 

ただ仲のいい友人たちは皆私が失言、失敗、失策をよくするけど悪気がないことを知っているのでめちゃくちゃ寛大になっています。

もはや放蕩息子を許す父ではないか?と思うほどに、私を小さい時から知っている人たちは愛が聖人、仏の域に近づいていくのです。まさに一切衆生悉有仏性のいい例といえるでしょう。

 

みなさんはどうですか?

とにかく私はこれまでの人生で「2人でいるとき不機嫌になって黙る女子の友達」はいましたが、男子で同じなのは見たことがありません。

 

……いやまてよ。

 

一つだけそんなことあった。

 

あったよ。

 

あれは小学校6年生の時……。

 

たけしという名前の友達がいた。

 

バンという中国人のようなあだ名だったので、

誰もたけしとは呼んでいなかった。

 

ある日、バンを含む班員四人で模造紙になにか書いていたんだ。

 

…そのとき、いつも仲のいいメンバーで和気藹々と話していたのですが、私はふと、

 

「ねえ、バンてジャイアンと同じ名前だね」

 

と、なんでもないことを思いついて伝えたのです。

バカにする意図はなかったし、でもジャイアンとは全然違うね、ぐらいの感じでふと口にしたのでした。まあ小学生の考えることなので。

 

まさかそれがバンにとっては、とんでもない地雷だったとは思いもしませんでした。

 

最初バンは「お前なんかジャイ子だ!」などと支離滅裂なことを言って騒いでいたのですが、笑っていました。なので、

「えー?だって名前がたけしでしょ。ジャイアンの本名は剛田武だから同じだよ」と私も笑って言っていると、

 

バンは突然鬼の顔になり、

「お前なんか死んじまえ!」

という衝撃の罵詈雑言を吐きました。

 

えっ、そんなに嫌だった!?!?!? 

 

私は狼狽しましたがバンは完全にパニック。泣きながらポスカを投げる投げる。

 

すると先生がーー今思えばことが大きくなるまで待っていたように思いますがーー騒ぎが大きくなったところで登場しました。満を持してとはこのこと。

 

「どうしたの?」

 

万事休す。怖い先生なのです。金幹部の女の子の長い爪を楽器をいじる爪じゃないと言って折ったり、笑顔、挨拶、返事を徹底、できない人間のことは無視をしたりと、教育の意図はわかるけどやり方が帝国時代の軍隊的というか。笑顔こそありましたがリアルに女王の教室でしたね。

で、泣きわめくバンから「こいつが俺のことジャイアンだって」と微妙にしかし確実に事実と異なる事情を聞いた先生はお説教を始めました。お説教といっても「けしからーん!」みたいなのじゃないです。「あのさぁ……」みたいな。「間」をふんだんに使い、言い返せない相手を確実に傷つけることのできる、目をみながら冷たくゆっくりとされる説教です。つらいけどそれは仕方がないです。知らなかったとはいえ、いうべきではなかったのですから。

 

私は反省しました。

 

ひとしきり詰め寄ると、先生はこう言いました。

「さあ、クラスのみんなに謝りなさい。

もうすぐ海外旅行を控えて自分だけ楽しいことがあるからって調子に乗ってすみませんでしたって謝りなさい」

 

えーーーーーー!?!?!?!?!?

 

え、

 

 

えーーーーーーーーー!!?!?!?!?!?

 

 

別にそういうわけじゃなかったけど言われた通り謝りました。

 

 

どうやら先生にとっての地雷は、先生がとれない長期休暇をとってアホバカ小学生がハワイに行く、ということだったようです。

 

 

だから言ったでしょ。

男子も女子も関係なく地雷を踏んじゃうとね、怖いんですよ。

 

おしまい。