かいたことおきば

メロンと一緒

怪しいホームステイの話

こんちは。めろんです!

やっほー!久しぶり。生きてる?笑 てか桃鉄って全然楽しくないよね…。楽しい瞬間はそりゃいっぱいあるよ。でも勝っても全然社長じゃないじゃん。それでいて殺し合いにもなるわけで…。

 

さて、なんか最近ブログ書いてないなあ、なんかあったかな最近?と思ったんだけど先輩(←客観的にみたらただのすごい良い人)が

ああでこうでワーワーワー…

…って騒ぐくらいしかないので、ちょっと思い出をまた振り返ってみました。

 

あれは大学一年生のとき。

 

センター英語の点数が良かったので、特別英語できるマンでもなんでもないんだけど一番上のクラスに振り分けられてしまいました。

まあこれ1年生共通英語あるあるなので、よく聞く話なんですけど。

 

充分な基礎力はついてるとみなされるので授業も淡々としていました。どんどんTOEICの過去問をやって、特に解説もなく、学生たちが涼しい顔で正解を答える繰り返し…というような。

 

そのクラスの先生が、今考えるとヤバい人だったんですね。

 

先生は室井佑月デヴィ夫人を混ぜたような感じでした。年齢は多分50歳位だったのかな。

名前は仮に室井先生とします。

 

室井先生は、普通にしゃべってる間は優雅で気分が良さそうなのですが、ちょっと想定外のことがあったり流れを止められたりすると、目を見開いてキンキン声で「なぁにそれ?」「信じらんない!」みたいな感じのオーバーリアクションをするような感じの方でした。まあありていに言えば関わらないほうが無難だろうなーという感じの女性でした。

 

と、いうようなことを18.9歳の時点で、自分以外の全員はわかっていたのです。なんとなく友達たちもそんな感じでした。

 

しかし私は当時は、前も書きましたが人を拒否しない人間だったので、特に警戒心や苦手意識などは抱いてませんでした。

 

室井先生は、むっちゃんという優等生がお気に入りでした。私もむっちゃんのことが大好きでした。今も。

 

むっちゃんは超いい子で、私の言うことにすごく笑ってくれて、清潔感もあり、上品で、全くチャラチャラしておらず、成績も良く、濃いブルーグリーンのカーディガンをよく着ていました。

室井先生は「素敵な色のカーディガン」とみんなの前で褒めたりしていました。

 

まぁ、みんなそんなに気にしてなかったけど、

今思えばむっちゃんは恥ずかしかったでしょう。

 

むっちゃんとは一緒のグループではなかったので、そんなによく彼女のことを知ってるわけではありませんでした。

 

私と室井先生の関係は普通でした。

 

クラスの男子が「質問ありますか?なんでもいいわよ」と言われて

「この〇〇コンサートホールってほんとにあるんですか!?」

とかしょうもないことを聞いて室井先生のヒステリーを引き起こしてしまい、それ以降あからさまに冷たくされたりもしていました。

 

そこから英語の授業は緊迫していました。

私も(みんなの前で怒られたくない!)と恐怖していました。

あてられた問題がわからず「a!いや違うか…b!?……c!」みたいな感じで先生の顔色を伺いながら必死に正解しようとしていたら、意外にも「オッホッホw」みたいに笑ってくれたことがありました。ほんとそれくらいでした。

 

3ヶ月近く経った7月のある日。

 

授業の後「あ、あなたちょっと残って」と先生から呼ばれました。

 

なんだろう?と思っていたら、

 

「あのね。あなた夏休みに私と一緒にウィーンとオーストリアに行かない?ホームステイに。これ、毎年やってるの。もう1人ね、農学部の女の子にも声をかけてるのよ」

 

えーーっ!!!突然!

突然の海外!!!!

 

この時点で先生と2人きりで話すのは初めてでした。

 

「私の知り合いの家に泊まるから、相場よりずーっと安く行けるわよ。なかなかない機会よ。どうかしら?とりあえずパソコンのメールアドレスを交換しましょう。携帯は持たないから」

 

まだ迷っていましたが、こんな感じで、とりあえずメールの交換が始まりました。

 

室井先生は歌うように優雅ですがどこか強引でした。

たとえば「行くか行かないかは〇〇日までに教えてください。泊まるのはこんなところで、手段と金額はこれくらい。他、質問があれば受け付けます」

みたいな感じだったら検討しやすいじゃないですか。

でもなんか全然そんな感じじゃないんですね。

なんかフワッとしたまま

「こんな幸運、逃すわけないわよね?行くわよね?」

みたいな。

「いろんなことは追って説明しますが、今まで行った人たちは、みんないい経験になってます。」 みたいな感じで、なんかどうも強引なんですね。

 

「なんだそれは!強引だ!詳細を説明しろ!」と、野党になっても全然よかったのに、履修中という立場もあるし、そんなに幸運なのか…と思い、とりあえず、じゃあ今のところ行きます、みたいな感じで返事しました。

 

打ち合わせのため、大学から2駅程度離れたところにある、先生の一軒家にお邪魔しました。

 

そこで初めて農学部の女の子に出会いました。ボーイッシュで小ざっぱりとした子で、喋り方は銀魂が好きそうな感じで、普段の友達とタイプは違うけど面白くて仲良くできそうな感じで、嬉しくなりました。なんとなく盛り上がっていると

「貴方達、きっと一生の友達になるわね」

と先生の声が飛んできて、お互い顔を見合わせてちょっと照れながら「へへ…☆」みたいな感じになりました。結論から言うとならないんですけどね。

 

さて、渡航について両親は「いいじゃない!」と割と乗り気でしたが、お金いくらくらいかかるの?と当然の質問をされていました。

 

しかしいくら聞いてもはっきりと

「だいたい〇〇円」とは言ってくれないんですよ。

それでも、行くということだけは固められていくような感じでした。口から出るのはとにかくウィーン少年合唱団はめっちゃすごいという話ばかりなのです。

 

困っていたら先生が「お金は私が一部を肩代わりして、のちのち返してもらう、とすることもできます」

と言ってくれました。

 

それならどうにかなるのかなぁ〜と思い、話は進んでいきました。私も大概のんきすぎるんですが。

 

先生の家で食事をして、お皿洗いをする段になると、先生は

「これ、ドイツ製の食器洗い洗剤なの。一滴、水の上に垂らして、少し放置して、適当にさっと流すだけでいいのよ。日本のはそんなことできないでしょ?日本の洗剤は危険なのよ。知ってる?貴方達の使ってる日本の洗剤って、とんでもない劇薬なのよ。口に入るものはこだわりたいから」

 

みたいなことを教えてくれました。

しかしうちのお母さんは他で見たことのないマジエコロジー人間なので、ジョイとかキュキュット等の洗剤は買ったことがありませんでした。ずっと地球に優しい台所石鹸を使っていたのです。

私は全然泡立たない石鹸に、長年(何これ?)と思っていたので、黙っていられずに

「あっ、なのでうちは台所石鹸を使ってますよ!ドイツまで行かなくてもそのへんの薬局にあるのでぜひぜひ」

などと悪気なく言って先生をすっかり興醒めさせてしまいました。

先生的には

「えーっ知らなかった!こわーい!それほしいですー!」

と言われたかっただろうに、まさかジョイやキュキュットを一回も買ったことのない家の奴にたまたま遭遇するとは。しかもなんか空気読まない奴で面目丸潰れだし。

 

さて、打ち合わせといっても一回目は顔合わせと、先生の昔のアルバムを見せてもらったくらいでした。

 

二回目にして、ある重大な事実が発覚するのです。

 

「貴方達が泊まるのは、私の知り合いの19歳のオーストリア人の男の子の家なの」

 

え!?男の子?あ、そうなんだ…

 

「あ、そうなんですか」

 

「両親のいない間にこっそり泊まるから、食事は出ないわ。洗濯もコインランドリー。自分たちで毎日ウインナーを買ってきて、焼いて食べることが多くなるでしょうね」

 

え!???

 

「貴方達、泊めてもらったお礼に、次は貴方達の実家に彼をホームステイさせるのよ!」

 

「え、えーーーーーっ!?????」

 

もうここは声出てましたね。

 

そしてさらに、先生はとうとうここで、金額を明かしました。

 

渡航費と滞在費は、3週間滞在で100万円プラス20万円くらいはかかります。」

 

えーーー!!!

 

3週間で120万円!?

 

破格…では…ないのでは!?????

 

金額の相場はよくわからなかったけど、

とりあえず思ってたより高いなぁ…と思ったり、しかも、ご飯や洗濯等なしでそれは割に合わない気がしたし、何より「両親がいない数週間の間にこっそり泊まる」

これがちょっとさすがに無理でした。

 

帰り道、私は(どうしよう……)と、トボトボ歩きながら悩んでいました。

 

それで、共通英語の友達には何も言ってませんでしたがとうとう相談することにしました。

 

友達は一部始終を聞くと、

「いや、ありえないだろ!」と憤慨してくれました。

そんな怒ってくれるとは思ってなかったのでなんか嬉しかったですね。

「まず金額が高すぎるよそれ!絶対ホームステイってもっと安くいけるって。しかも条件変なのに後出しするのも、最初に言ったら断られるってわかってるからだよね?交換ホームステイなら一番先にそれ言わなきゃダメだし、こっそり泊まるって絶対おかしいでしょ!」

 

こんな感じで色々言ってくれて、やっと(やっぱりそうなんだ…そうだよね)と疑念は確信に変わりました。さらに

「てか、あの先生見るからにやばいじゃん!?

むっちゃんだっけ、あの子も最初誘われて断ったらしいよ」

 

むっちゃん先に断ってたwwwww

 

まあ、そうはいっても、当時の私はまだまだ社会のことを何も知りませんでした。

今思えば、「交換ホームステイのことは聞いておりません。そういった重要な条件は最初に提示するべきではないでしょうか?また、こっそり泊まるというのはどういうことでしょうか?他人の家に不在時に黙って滞在することはできかねます」

みたいな感じで言えばまったき正当な主張だったのですが、それがまだわからなかったんです。履修中ってことも多少はあったのかな。で、困っちゃって、普通に断るのは無理そうな雰囲気だったので一生懸命に考えて

 

「ごめんなさい…お金がちょっと…」

 

という風に伝えました。

 

すると先生から「信じられない」というようなタイトルのメールがYahoo!メールに続々と届きました。

何通も。

その時の恐怖は忘れられません。

 

その時使っていた「milky_way」みたいな非常にアホっぽいアドレスも呪われた気がして、使うのをやめました。ミルキーウェイと聞くと今でも先生の怒涛のメールを思い出すのは地球上で自分だけでしょう。

 

「本当にごめんなさい…家の事情がちょっと…」

 

こういう感じで必死に謝っていると、

「そうだったのね。かわいそう」

と、急に同情してくれて、驚きつつも

少し悪いことをしたような気持ちにもなり…

 

農学部の子も「えぇー、先生と2人旅かぁ、残念だなぁ、残念すぎるなぁ」と言ってくれたのも忘れられません。

 

今の自分ならはっきりそれはおかしくないですか?と、

怒るとかじゃなくて質問ができるだろうし、

その子にも「やめといたほうがいいよ、本当にいいの?」と言えるでしょう。

 

でも当時の自分は本当に間抜けな子供だったので…あの子を助けることまでできませんでした。

 

あの子も「え!?マジかイイィィ!?」とか

言ってたんですけど(※本当です)、

結果、親御さんが承諾していたようなので中止にはなりませんでした。

 

私の父は「外国の人がホームステイするならばあちゃんちだなあ、うちはふつうの住宅だし別に日本っぽくないし、ばあちゃんちなら広いし、自然もあるし…」

と言ってたんですけど、ばあちゃんたちに、会ったこともない外国の男の子を世話させる約束というのもできないし。

 

そんな感じで私のウィーン行きは中止になりました。

さて、それらの話が片付くまで大体1ヶ月。

 

先生の中止話も無事に終わり、多少気まずいまま8月頭に共通英語のテストがありました。

 

60点以上が可、70点以上が良、80点以上が優、90点以上が秀。

別に英語得意マンでもないけど普通くらいにはできるし、他のもちゃんとやってるし、理系みたいに厳しい授業もないから優か秀しかないけどね。

 

さて、共通英語の成績は。

 

 

共通英語 59点 不可

 

 

おーーーい!!!!!!

 

 

 

私怨だろこれー!!!!!!

 

 

 

ーおしまいー