ちっちゃい頃のつらい秘密の話
こんにちは。
突然ですが皆さんには「秘密」がありますか?
大人になるにつれ、秘密があるのは当たり前のことになったかもしれませんね。秘密を持っていることに慣れているかも。
でも小さい頃はどうでしたか?
隠し事があるというだけで辛い思いをしていた人もいるんじゃないでしょうか。
幼き日の私もまたその一人でした。
あれは忘れもしない7歳の夏のことです。
メインイベントであるサイコーに楽しい父方でのお盆ー夏の本番ーが終わると、初めて母方のおばあちゃんちに一人で行きました。
その年の夏は、面白いけど結構イジワルな年上のいとこが来ていなくて、本当に一人でした。
「めろん、一人でよくきたね」
おばあちゃんはいつも優しくてニコニコして
いました。
おばあちゃん、といっても、世間で言うおばあちゃんって感じはしない人でした。
色白でマリリンモンローのような体型で、必ずおしゃれな格好にハイヒールをはいて、宝石のついた指輪をいくつもはめ、タクシーで行動していました。
おばあちゃんは一人暮らしでした。
その一軒家にはいくつも余った部屋があり、
「昔は下宿の娘さんを何人か預かっていた」らしく、私はいつもその遠い昔のことをぼんやり想像していました。
居間にはこけしや日本人形が盛り沢山にこっちをみていて、寝室は逆にいろんな洋風の人形がぎっしり吊るされていました。おばあちゃん曰く「みんなかわいくてしまえない」。
手芸の先生でもあったので、手作りのも混じっていました。たしかにそれはかわいかった。
昔色々あったこともあり、
おばあちゃんはお酒が大好き。
毎晩飲み屋に通っていました。幼児の頃から、よく内緒でスナックに連れて行かれてました。
連れてくなよ。
おばあちゃんにはパトロンと呼ばれる謎の男性が何人かいて、夜な夜な彼らに電話をしていました。
当時はよくわかりませんでしたし、おばあちゃんも別に水商売をやってたわけじゃないし、…今でもよくわかりません。私が高3の時その中の一人と再婚しようとしたのですが、お相手が泥酔して浴槽の事故で…。
あれがなければおばあちゃんは再婚して、私には新しい「おばあちゃんち」ができていたんだな。
さて、おばあちゃんはいつもめちゃくちゃ甘やかしてくれて、手に取るものは何でも買ってくれました。
子供は遠慮するものじゃない!としぶい顔をしながら、とにかくちょっと見ただけのものも全て買ってくれるのです。これはいらないよ!とずいぶん断りもしました。
おばあちゃんはもともとお嬢様でした。満州事変で一家で満州に渡り、満州と品川に2つ屋敷を持っていたらしいのですが、負けて引き揚げの時財産を没収されたし、品川の家も空襲で焼けたそうです。
これめちゃくちゃもったいないですよね。戦争って最悪だな。
私は、いつもお金をくれまくる&なんでも買ってくれる&宝石や毛皮やお洋服もいっぱい持ってるんだから、依然としておばあちゃんはすごいお金持ちなんだと思っていました。
しかしおばあちゃんに何か買ってもらうとうちの両親はやたらと激怒するのです。
そりゃあもうメタメタのギタギタしぼられるのです。父に。
例えば3歳の時「箸の持ち方ァァァァァァ!!!」と父から“マジ怒鳴り”をされ、超怖くて大泣きしたことを今も覚えています。そんな怒鳴り方をするのは空知英秋か銀魂ファンの女子かうちの父しかいないわけです。
3-4歳児に、前に教えた箸の持ち方が覚えられていないと大声で怒鳴りつけるってどう考えてもヤバイ人ですが、まぁ過ぎたことなので。
あともう持てるし箸とか(笑)
さて、とにかくその夏の私は気が大きくなり、おばあちゃんが前々から言っていた話に乗りたくなったのです。
それは…
「買ったものは、おばあちゃんちに隠しておけばいい」
という簡単な話でした。
「それでおばあちゃんはね、置いていったものを見て、ああ、おまえが来て楽しかったなぁって思い出せるし、おまえはまた、うちにきた時遊べばいいでしょ」
私はそれをいつも生真面目に断っていました。両親に嘘をつくのがすごく悪いことのようで、怖かったのです。
でもその年、いとこもいなくて、完全に理性のリミッターが外れていました。あの、面白ければ平気で人を裏切るであろういとこ(信用ない)が、遊び半分でうちの親にバラすかもという不安がなかったのです。
普段買ってもらえない「なかよし」のホラー特別増刊号や、普段買ってもらえない「お化粧セット」的なやつ、レターセット、色ペン、ジャムの瓶(なんで?)、シール剥がしペン(なんで??)
などなど、たまたま手に取ったものからほしかったものまで全部買ってもらいました。
その中で、おいていった(隠した)のはヤバそうなお化粧のオモチャと、なかよし、びん、レターセットでした。
家に帰った私は、ペンなどいくつか持ち帰ったものを見せました。このくらいなら大丈夫と思ったのです。しかし、それだけでも、予想を遥かに超えてとんでもなく怒られました。私が東京03だったらしばらくテレビに出れなくなっていたでしょうね。
先述もしましたが、うちの両親はそれぞれ教育が下手すぎるのです。
とにかく子供をめちゃくちゃ怒鳴りつける父。「片方が怒鳴ってる時は片方が味方にならないと子供の逃げ場がなくなるから!」という、本で読んだらしい台詞をそのまま口に出して一応味方してくれるなんかシュールな母。
普通に考えて、父に怒鳴られることで圧倒的な恐怖を感じているにもかかわらず、「買ってもらう」行為をやめない私の様子を見て、子供へのアプローチを変えるべきですよね。
まあこれが彼らにとっての
“夏休みの宿題”
だった訳ですね(笑)
…ですから、何時間も泣いてる子供を怒鳴り続けるなどという前時代的な虐待行為は卒業し、はっきり「おばあちゃんには浪費癖があって、ローンで払ってる家電もあるから、一円でもお金使わせたらダメだよ」というような『理由』をせめて伝えるべきだったと思います。
というより、ちょっとオモチャを買ってあげるような出費も避けさせたいような状況なら、そもそも子供を預けるなよ、というところですね。おばあちゃんだって孫が来たら買ってあげたくもなりますよ。彼らには想像力が足りなすぎます。
だっておばあちゃんちに一人でいっておばあちゃんとショッピングモールに出かけて、それ欲しいの?買ってあげるよ、と言われて、
「ほしいし、買ってもらえるとのことですが、お断りします。約束したので」
と断れるカントみたいな小2がいたらお目にかかりたいものです。カントも小2なら無理だと思う。
それならなんでモールに来たんだって感じですし。
…まあほんというと、あれだけ怒られたんだから言ってほしかったですけどね。今思い出しても己の学習能力のなさに驚き…
否、これは、起こりうる「苦痛」によって「快楽」を制するのは難しい、ということなのでしょう。
この緊急事態宣言下で遊びに行く人が後をたたないのはこの理由かもしれません。
さて、そんな感じでおいてきたオモチャ達ですが、これが思いの外、何年も私を苦しめることになるのです。
秘密というのは、物と変わりません。
「ある」からです。
おばあちゃんが酔っ払ってあのことを、
話してしまうかもしれない。
おばあちゃんちにいったとき、お母さんが
偶然見つけてしまうかもしれない。
そうなったらまた、あの、烈火の如く
2時間は怒鳴られ続ける地獄の時間が待っているのだ…………。
当時の私には父に怒られまくるということが、本当に耐えがたい苦痛だったのです。こわいし。
毎晩、「オモチャ達がこの家にガタンゴトンと向かってきている」という妄想に悩まされました。
それが当時「最悪の想定」でした。
そして、
(そうだとしても、オモチャの重さ、転がりながら移動する速度、距離を考えれば、朝日が昇るまでにここに来るのは無理だ。←勝手なルール
そしたら無理とわかった瞬間から家に戻ってるはずだから、←?大丈夫だ)
と考え、毎晩その考えに至ることでようやく眠れました。
ある晩、そうとは知らないお母さんに「めろんちゃんは幸せだね」と言われました。今でも忘れられません。
「えっ…なんで!?」
「なんでって、〇〇さん(だれか大人)も言ってたよ。めろんは〇〇だし〇〇だし、お母さんもそうだなぁ幸せだなぁよかったって思ったの」
「そ、そんなこと、ないですよ…」
この時ほど罪悪感というのが、手に取るように、目に見えるようにわかったことはありません。
二人にバレたら怒られるような秘密がある、この事実は小2の私には重すぎたのです。
皆さんだったら打ち明けて楽になるでしょうか?
私は、打ち明けることはありませんでした。
とうとうこんにちまで隠し通しているのです。
まあ、もうあの家は取り壊されて、無いのですが…。(おばあちゃんは存命)
あれ以来私はおばあちゃんちが嫌いになってしまいました。
正直人形たちもこわいっちゃこわいのです。居すぎだし。
あと、あの使ってない部屋に隠した「なかよし」増刊号…、そう、少女の心にトラウマを植え付けたと話題のアレです。
アレのこわい話が全部こわすぎたんです。
なんなら今でも怖いです。
少女漫画の絵なのにどんだけ容赦ないんだよっていうギャップが嫌ですね。
アレと私の秘密が相まって、「おばあちゃんの家」は非常に嫌なものとなりました。
おばあちゃんの家に行くときはお母さんがそれらに気がつかないか気が気でなかった。
そういえば怒鳴り散らすと子供は自分を守るために嘘をつくような子になるって最近どっかで読んだぞ!
おいおい!
当たってんじゃん(笑)
とにかく、20歳頃になったら多分怒られないから打ちあけよう…
と、心に決めていました。かなりの長期計画です。
だからそれまで引きずりながら暮らしていましたが、小5のある日おばあちゃんに、意を決して
「おばあちゃん、あの時のあれ捨てておいてほしい」
と頼みました。
おばあちゃんは「あれを見れば、あの頃、おまえと遊んだ楽しかったことが思い出せる」と言ってくれていたのに。
おばあちゃんは「わかった」と言いました。
おばあちゃんは捨てないかもしれない。
けどその言葉でふっと気が楽になり、また、さすがに(オモチャがゴト…ゴト…とこっちに向かっているかも…)というのはまったく信じ難くなっていたので、5年生頃からとにかく毎日が最高に楽しかったのを覚えています。
それから10数年たち、大学で「和犬は好きだけど洋犬は嫌い」という親友に出会いました。犬好きって大体の犬好きなのに、こんな厳しい犬好き見たことないよ。
その親友と旅行していた夜のこと。
「小2のとき、一回だけなかよしの夏休み増刊号を買ってもらってね。そんときのめっちゃ怖い話のラストが思い出せなくてね…」
という話を私がしたのです。
すると、
「それ、知ってる!!!!!!!!〇〇人間の話でしょ!?あたしもその年だけたまたまなかよしの怖い話増刊号買ってもらったの!あのねあの話はあいつが実はいいやつでラストで主人公逃げられるんだよ!!!!!」
えーーー!!!!!
「なんで知ってんのーーー?!?!?!?!?!ありがとう!!!!!!やっとすっきりした!すごすぎない!?!?!?」
マジでこの子との間に起こる思い出の共有は、奇跡的すぎて時空を超えていました。
遠く離れた地でお互いあの夏だけあの号を買ってもらっていたとは……というかお互いいまだにその話が強烈に焼き付いていて昨日のことのようにあらすじ教えてもらえるなんて…もう二人とも22歳だぞ…。
だから人生は面白いですね。
ということで、子供を持っても、間違っても怒鳴り続けたりしないような教育を心がけましょう!嘘をつく子になりますよ(笑)
ではまた!