かいたことおきば

メロンと一緒

思い出のマーニー研究 その①

みなさんこんにちは。

 

すっかり秋となっためろんジュースです。

 

秋も秋、10月末ともなれば年末と言っても過言ではありません。年末年始、みなさんどのようにお過ごしですか?お蕎麦食べてますか?おもちかな?

 

さて、みなさんご存知の通り私は思い出のマーニーが大好きです。

文字通り、寝ても覚めてもマーニー漬けの日々を送り、やることがなくなってしまいました。

 

そこで、マーニー映画を詳しく研究することにしました。

 

本研究のきっかけとなったのは、

 

"""""あのお客さんたち、パーティにどっからどうやってきていつ帰ってんのかな?""""

 

という素朴な疑問でした。

 

ということで検証を進めていこうと思います。

 

そもそもこれ、原作の舞台がイギリスなので、あくまでもあれですけどね。(どれ?)

 

みんな大好きしめっち屋敷は、釧路、十勝あたりの架空の町にあります。

 

まず、湿っ地屋敷の大きさを知るのにどうするか画策した結果、

 

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購入を検討しているこれの存在を思い出しました。

 

これの、

 

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ここです。

たしか縮尺があったなーという気がしたのです。

 

それぞれの数値を220倍し、

m換算し、さらに坪の計算をした結果、

 

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350.21272

 

 

約350坪!!?!?!?

 

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体育館か?

 

流石にでかすぎると思い見直してみると、

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もしかすると、この水の部分が入っているのではないかと思い、推定ですが、1/2として計算し直しました。すると、だいたいですが約170坪くらいでした。そうは言っても高校の体育館半分ほどなので、お屋敷だけでも相当でかいです。卓球部が半分使ってるあのスペースが全部家ですからね。

というわけで、計算が間違っていなければ

マーニーの屋敷は周辺の庭を含め、予想よりもに巨大だったということになり、みなさんが帰らなくても収容できるスペースはあったようだと推測できました。

 

しかし、これだけ広いのに、高齢のばあやと双子の姉やの3名で掃除と管理が賄えるかというのは甚だ疑問です。さらに改修工事の詳細は明らかにされていないとはいえほぼ原型をとどめたままのサヤカの家、結構でかすぎない?

 

さて、それでは次に、彼らはどうやってあの地へきていたのでしょうか。

 

思い出のマーニー種田陽平展にて、マーニーの人生年表が公開されたのですが

 

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ここで、マーニーの生まれは1953年という事実が明らかになっています。

 

生まれ年的に、マーニーの母の桐子、もしかしたらいわゆる戦争花嫁だったのかなと思いました。そうじゃないと、あの時代に米英と国際結婚ってのはなかなかね。ちなみにお金持ちの女子は基本的に親が勝戦国の兵士から遠ざけるようにしていたらしいです。基本的には。全てを防げたわけではないと思いますが。当時は貧しかった敗戦国での暮らしより、プライドも名前も捨ててアメリカへ嫁ぐのを選んだ婦女子は少なからずいたのですよね。

 

さて、1945年7月14.15に空襲をうけた釧路ですが、マーニーの暮らしからはお金持ちとはいえ周囲の貧困の様子も窺えませんし、パーティにあれだけの人が来る手段がある、呑気にしているということから、ある程度の復興はしていたということになります。1960年からは池田内閣による所得倍増計画もありました。マーニー生誕の1953年間から20歳の1973年まで、偶然にも、ちょうど高度経済成長期と呼ばれる19年間だったのですね。

そしてパーティーが開かれていたのは、推定ですがマーニーが6歳〜15歳(1959-1968)くらいではないかと思います。1953年生まれというのはこのへんのかねあいで時代考証され決議されたのでしょう。

 

ちなみに舞台は架空の町ですが、アンナが乗っている特急電車が「釧路」行き「スーパーおおぞら」である以上、釧路近辺という解釈で間違いありません。

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アンナは心配する頼子に対し、「メーメーうるさいヤギみたい」などと突然の毒を吐きながらさりげなく乗っていますが、札幌⇆釧路間は4時間40分もかかります。

 

降り立っている駅からして、特急停車駅である

釧路駅からローカル線に乗り継いだとみて間違いないでしょう。この時点で5時間近く移動してますね。すごいです。

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見た目や線路はいくつかの駅がモデルと言われていますが、廃止された旧江差線江差駅であるとの可能性が高いようです。

こういうアニメ映画に出てくる駅っていいですよね。大岩家にしばらく預かられたい。どうしても預かられたい。

 

話を戻しましょう。

客人はどうやってきていたのでしょう?

 

普通に考えて、わざわざ北海道の東北部、端っこにある釧路地方の一屋敷まで、あんな大勢の富豪が集まるっていうのがまずちょっと常識離れしてますよね。

 

彼らは何者で、どうやって釧路へ来ていたのか?というところから、まず「釧路空港」について調べました。開港は1961年。パーティー開催期間の途中から利用された可能性がなくもないのですが、国内線しかないのです。

 

あるいは釧路港(開港1889年)にクルーザーで来たのかもしれませんが、クルーズの歴史を調べたところ…思うように知りたいことが調べられませんでした。調査中です。

というのも釧路港は基本的に物の流通を担う港で、人を乗せる豪華客船(クルーザー)は現在国内およびウラジオストクなどからきているものの、マーニーの父の名前はリチャードですし、ロシア方面の人ではないと推測されます。あのお金持ちがみんなウラジオストク周辺から来てるとは考えにくいし。

あと、パーティ開催時に豪華客船あったかなぁ???という。

 

となると、彼らは都市部札幌あたりの富裕層で、陸路で遊びに来ていたのかな…。

ただし

特急で2014年に4時間40分かかってますし、

いや、わかりませんよ。わかりませんけど

わざわざそんな?という疑問は残ります。

とはいえ、釧路湿原の美しい屋敷でパーティと聞いたら、行きたい行きたい!ってなる、かも…。

当時セレブと呼ばれた人々の生活についても調べないといけないですね。これと、この海路の詳細(船の中身、利用者の富裕度など)を調べるのはまさに"""難航""""したため、調べ続けようと思います。

 

ともあれ、屋敷の大きさから、宿泊もできた(けどまあパーティ会場で夜を明かした)と考えてよさそうです。

 

しかし、マーニーが使用人の横暴を暴露し交代

を願いでなかったのは些か疑問が残るところですね。

 

あと、太っちょ豚!と罵るのは原作通りなのですが、原作では信子に当たる人物はもっと意地悪なのです。(大岩夫妻もあんないい人たちではないです)信子は何か意地悪をしたわけでもなく、アンナが勝手に追い詰められ、(注 アニメ絵本版には、無遠慮に色々話しかけてくる信子にアンナが苦手意識を抱いている、といった旨の明確な記述があります)「大人な対応をしているにもかかわらずあの体たらく、それでいてマーニーにはデレデレ、ってちょっと誰か止めなかったのか?とは思いますね。おいおーい!って。それってメンクイじゃん!って。でも個人の見解では、アンナはまだ外の社会と関われる状態ではなく、身内だからこそ心を開けた、こう言った意味があると解釈しています。ただ、まあ、ね…。こんだけのマーニー への情熱を持たずに普通に見てたらね。メンクイやないか!ってね…。

 

 

はい。

いかがでしたでしょうか。

 

人類の大半が興味のない「マーニー のお屋敷にきた人達はいつ帰った?交通手段は?お屋敷の大きさは?卒アルと顔が違う?」問題についても、深く調べたら「北海道と戦争」を考えるきっかけになりました。

北海道てめちゃくちゃ広いので、地方によって違っていたと思うとさらに調べたくなりました。北大の入試(日本史・世界史)なんかでは、北海道の歴史がよく出題されますから、受験生の皆さんは関心を持って学んでおきましょう。北海道大は関東や関西からの受験生も多いんですよね。

また、意外にも新千歳空港より釧路空港のほうが古いということも知れて、なんでだろ?性格が悪いって本当?とさらに探索は深まりそうです。

 

そんなところで。ここまで読んでくれたひとがもしいれば、あなたね、めちゃくちゃ良いことがありますよ。ありがとうございました。